私が、キセルガイという奇妙な生き物の存在を初めて認識したのは、今の家に引っ越してきて、最初の梅雨を迎えた時のことでした。家の北側に位置する、一日中薄暗いコンクリートの擁壁が、雨上がりの朝、黒い線のようなもので、いくつも彩られているのに気づいたのです。恐る恐る近づいてみると、その線の一つひとつが、細長い、煙管のような殻を背負った、小さな巻貝でした。その数、数十匹。彼らは、壁に生えたわずかなコケを、ゆっくりと、しかし確実に食べているようでした。正直に言って、最初の印象は「不気味」の一言でした。しかし、インターネットで調べてみると、彼らが植物を食べる害虫ではなく、コケなどを食べる、自然界の掃除屋であることを知りました。そして、人間には直接的な害はない、と。その事実を知ってから、私の彼らに対する見方は、少しずつ変わっていきました。確かに、大量にいると不快感はありますが、彼らがいるということは、この壁が、生命を育むだけの湿気と栄養を持っている、ということの証でもあります。私は、彼らを無理に駆除するのをやめ、代わりに、彼らが増えすぎないように、環境をコントロールするという、新たな付き合い方を模索し始めました。まず、高圧洗浄機で、壁のコケを一度、徹底的に洗い流しました。餌がなくなったことで、彼らの数は、目に見えて減っていきました。また、壁の根元に生い茂っていた雑草を刈り取り、風通しを良くしました。これにより、壁が乾燥しやすくなり、彼らにとっての快適な住処が奪われたのです。今では、雨上がりの朝に、壁の上を散歩するキセルガイの姿は、数匹程度になりました。私は、彼らの姿を見つけると、「ああ、昨夜は湿気が多かったんだな」と、家の環境を知るための、一つのバロメーターとして、静かに見守っています。害虫と決めつけ、一方的に排除するのではなく、その生態を理解し、お互いが快適に暮らせる境界線を探っていく。あの小さな掃除屋たちは、私に、自然との、ささやかで、しかし豊かな共存の形を教えてくれたのです。
私の家の壁に現れたキセルガイとの静かな共存