それは、私が今のマンションに引っ越してきて、初めて迎えた春のことでした。南向きのベランダは日当たりも良く、休日にそこでコーヒーを飲むのが、私のささやかな楽しみでした。ある日の朝、ベランダの隅、エアコンの室外機と壁の間に、数本の枯れた小枝が落ちているのに気づきました。私は、「どこかのカラスが落としていったのかな」と、特に気にも留めず、そのまま放置してしまいました。今思えば、あれこそが、全ての悪夢の始まりを告げる、最初のサインだったのです。その数日後、小枝は明らかに数を増し、お椀のような形になり始めていました。ここでようやく、私は「鳩が巣を作ろうとしている!」と気づき、慌ててその作りかけの巣を、ほうきで掃いてゴミ袋に入れました。「これで一安心だ」と。しかし、私の考えは、あまりにも甘すぎました。翌朝、ベラン-を見ると、またしても同じ場所に、新しい小枝が数本置かれています。私はそれも撤去しました。しかし、その次の日も、また次の日も、鳩は諦めることなく、まるで私に挑戦するかのように、毎日律儀に小枝を運び込んできたのです。その執念深さに、私は次第に恐怖を覚え始めました。そして、仕事が忙しく、数日間ベランダのことを気にかけられなかった週末の朝。恐る恐るベランダを覗いた私の目に飛び込んできたのは、完璧に完成された巣の中に、ちょこんと鎮座する、二つの白い卵でした。その瞬間、私は血の気が引くのを感じました。インターネットで調べ、卵がある巣は、法律で撤去できないことを知っていたからです。時、すでに遅し。私は、自らの油断と行動の遅れによって、これから約一ヶ月間、鳩の親子との、不快でストレスフルな同居生活を強いられることが確定したのです。早朝からの鳴き声、日に日に増えていく糞、そして、窓を開けられない閉塞感。あの最初の数本の小枝を見つけた時に、すぐに行動を起こしていれば、こんなことにはならなかったはずです。あの出来事は、私に、問題の兆候を見過ごすことの恐ろしさを、骨の髄まで教えてくれた、苦い教訓となりました。