もしも私が一匹の紙魚になったとしたら世界はどのように見えるのでしょうか。そんな奇妙な想像をしたことがあります。身体は銀色の鱗で覆われ流線型のフォルムを持ち暗闇の中を音もなく滑るように移動するのです。私の目の前に広がるのは巨大な壁のようにそびえ立つ本棚という名の摩天楼です。人間にとっては単なる収納家具に過ぎませんが私にとっては複雑に入り組んだ迷宮であり無限の食料庫でもあります。私は光を何よりも恐れています。太陽の光や蛍光灯の鋭い光は私の柔らかな身体を焼き尽くすかのような脅威でありだからこそ私は常に影を求めて彷徨います。本の背表紙と背表紙の間のわずかな隙間は私にとっての安全地帯でありそこには心地よい湿気と静寂が満ちています。私の嗅覚は鋭敏で古びた紙から漂う甘いデンプンの香りや製本に使われた動物性接着剤の濃厚な匂いを遠くからでも嗅ぎ分けることができます。特に数十年もの間誰にも触れられずに放置された全集の奥などは極上の晩餐会場です。そこでは湿気を吸って程よく柔らかくなった紙が私を待っており私はその繊維の一本一本を噛み締めながら歴史の重みと共に知識を貪り食うのです。しかしこの楽園には常に危険が潜んでいます。時折巨大な振動と共に本が引き抜かれまばゆい光が差し込んでくる瞬間は死の恐怖そのものです。人間の巨大な手が伸びてきて私を押し潰そうとするその理不尽な暴力に対し私はただひたすらに走り逃げ惑うしかありません。また乾燥という見えない敵も私を苦しめます。空気が乾ききった冬の日などは皮膚がひきつるような苦痛を感じ湿気を求めてより深くより暗い場所へと潜り込まざるを得ません。防虫剤の刺激臭が漂う区画は立ち入り禁止区域でありその匂いを嗅いだだけで神経が麻痺しそうになります。それでも私は本から離れることはできません。なぜなら本こそが私の世界であり私の生命の源だからです。私が這った後に残る銀色の粉や不規則な穴は私がそこに生きたという証であり人間にとっては忌むべき被害かもしれませんが私にとっては生存の記録なのです。ある夜ふと人間が本棚の前でため息をつきながら防虫シートを設置している姿を見上げました。その眼差しは敵意に満ちていましたが同時に本を愛おしむ慈愛も含んでいるように見えました。私たち紙魚と人間は本という同じ対象を愛しながらも決して分かり合えない悲しい関係にあるのかもしれません。そんなことを考えながら私はまた一冊の古い文庫本のページの間へと滑り込み甘美な紙の味に酔いしれるのでした。
私が紙魚になった夜に見た本棚という迷宮